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“英雄”。我々は目の前にいるものをそう呼ぶ。陽炎の中、1機、また1機と滑走路に集まる戦闘機。隊列を組み、ゆっくりと進む姿は象の歩みに例えられる。勇ましく高空を飛ぶ様とはまた違った、威厳に満ちた光景だ。翼を並べるのは、かつて雌雄を決したエースパイロット達の機体。環太平洋戦争に関する機密文書の公開は、これらを世界中から集結させた。彼らの向かう先は凱旋か、それとも未来の戦場か。
2020年6月30日、オーシア政府は首都近郊のレッドミル空軍基地にてベルカ戦争終結25周年記念式典を開催した。昨年までとは違い世界各国の空軍部隊に対し公式招待がなされ、基地に飛来した外来機は実に120機を超えた。同盟国のみならず、かつての敵対関係であった紛争当事国の機体も多数隊列に並び、基地内はさながら航空ショーの様相を呈した。
主催国の他に参加したのはエルジア、ユークトバニア、エメリア、エストバキア、レサス、オーレリア、ウスティオ、サピン、中央ユージア、そしてベルカ。国連や旧独立国家連合軍の所属機も合流を果たした。過去の国際軍事演習でもこれほどまでの参加規模は類を見なく、またオーシア連邦政府が公式行事として定めるメモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)に外国の高官が多数列席したのも異例だ。
参加した機体は一部のレプリカを除いて実際のトップエース達の使用機体であり、カラーリングや兵装等は戦争当時の状態が維持されている。灯台戦争、大陸戦争、EE戦争、そしてベルカ戦争において多大な功績をあげ、時に戦争終結へ寄与したと言われるエース達の機体が観衆に披露された。傭兵で構成されたという非正規軍の派手な塗装の機体が現れると会場のマスコミからはやや笑いも生まれたが、軍人らの視線は真剣そのものだった。
五大陸から歴戦の機体が終結した背景には、今年がベルカ戦争終結から25周年という節目の年であると同時に、戦後10年を迎える環太平洋戦争に関する機密情報、いわゆる“2020年文書”の公開年であることも関係している。機密解除された文書の一部においては、オーシア・ユークトバニアという超大国同士の衝突が起きた背景として、両国の中枢に潜伏し策謀を企てたテロリスト集団の存在があった事、またその集団名が“灰色の男たち(The
Grey
Men)”であった事が公文書として初めて確認された。しかもそのテロリストは昨年のセント・ヒューレット軍港空爆から始まる一連のエルジアによる軍事行動に関与していたことも明るみとなった。我々の眼前にあるエース達の機体はそれらと対峙してきたのだ。
現在進行形であるこの問題に対し、オーシア政府は対テロリズムを目的として有志連合参加を表明。これは特定の国際機構や同盟に規定された国家同士の連合ではなく、世界に存在するありとあらゆる組織と連携を可能とするものだ。今回の記念式典での大規模なデモンストレーションは、これに呼応した国々らと共に組織の団結を内外に示すものであり、ベルカ戦争に起因する長く続いた戦いと策謀の歴史に終止符を打つ決意表明でもある。
2013年3月にオーシアのハーリング大統領が発した環太平洋戦争に関する機密指定文書自動解除についての行政命令は、同年4月1日に発効。7年の月日を経た今年同月、「最高機密」に相当する約2000ページに及ぶ文書ファイルが情報安全保障監督局のデータベース上で閲覧可能となった。
機密指定には、「最高機密(top
secret)」、「極秘(secret)」、「秘(confidential)」の3段階がある。行政命令によると「最高機密」は作成から2年後に「極秘」、さらに2年後には「秘」に格下げされ、そして「秘」は3年で機密指定を解除される。つまり、「最高機密」文書は原則として計7年で機密指定を解除される。
したがって、機密指定された文書は原則として3年から7年で解除され、情報自由法で開示請求が可能となる。ただし、安全保障上の理由などから適用除外も認められており、今回開示された報告書においても検閲、いわゆる黒塗りがなされた箇所が少なくない。
その中でも、今回明らかになった注目すべき事実を要約すると次の通りとなる。
1.ユークトバニア軍保有の大型潜水空母2隻はオーシア軍機による対艦攻撃を受けて撃沈されたこと。
2.オーシア軍保有の大気軌道宇宙機はテロリストの工作を受け、ユークトバニア本土への移動中にオーシア軍機により撃墜されたこと。
3.オーシアの戦略衛星軌道砲はテロリストの工作によりオーシア本土への落下コースにあったが、オーシア軍機により首都上空で撃破されたこと。
4.テロリスト集団“灰色の男たち”の詳細な組織構造。
5.オーシア大統領直属の特殊部隊の存在。
1〜3についてはこれまで一般的に知られていた報道内容ではいずれも作戦遂行中の事故、あるいは2010年12月に発生した磁気嵐の影響による衛星の落下事故とされていたものだ。今回の内部報告書の公開により、これらは事実を隠蔽するためのカバーストーリーであったことが判明した。勿論、機微な情報を公にすることで国の安全が害されると判断した結果ではあることは疑う余地もない。これらの指示をいつ誰が行ったか、なぜこのような虚偽内容になったのかについては今後行われる歴史検証有識者委員会で明らかになるだろう。
問題は4だ。これまで我々にとっての環太平洋戦争及びベルカ事変とは、1995年のベルカ戦争から続くベルカ公国強硬派の残党による工作活動によって発生した、一連の国家間紛争の事を指していた。しかし今回の報告書が意味するのはそれだけに留まらず、“灰色の男たち”と呼ばれるテロ・ネットワークが軍事企業である“ノースオーシア・グランダーI.G.”を通じて武器の密輸や技術供与を世界規模で画策していた事を示している。
環太平洋戦争末期、ベルカ人の関与が露見したことでオーシア・ユークトバニア両国は停戦したが、強硬派が起こした数々の陰謀劇によって、ベルカ人は混乱の源であると声高に非難する風潮が戦後高まった。両国政府も非難されるべきはベルカの特定党派であるとし、人種、民族に対して差別の矛先を向けることに厳しい措置をとっていた。しかしそれは是正されるに至らず、昨年の灯台戦争においても一部のエルジア軍将兵によるベルカ系市民の虐殺という悲劇が発生した。報告書によれば、憎しみが憎しみを産む連鎖そのものも“灰色の男たち”の目的の一つとされ、それが裏付けられる形ともなってしまった。
“灰色の男たち”の組織実態は2010年当時のグランダーI.G.社長であるソラーレ・オストベルグ(2011年勾留中に死亡)が首謀者の一人とされたが、上位組織、下部組織といった枠組みは存在せず、ある種の思想を共有した秘密結社に相当する集団だと判明している。メンバーは特定の団体に固定されず、いくつかの国に潜伏し連携を行いつつ自発的に行動を行う。12行の氏名欄はすべて黒塗りではあったが、遠からず罪を償うことになるに違いない。
今年初めに実施されたグランダー・インダストリーグループに対する国連による制裁措置はその手始めとなるだろう。まず、スーデントールに拠点を持つノースオーシア本社とセラタプラにあるグランダーSS(Space &
Security)の閉鎖が決まった。一部とはいえ、世界に名立たる巨大軍需工場の閉鎖は主要納入先であるオーシア軍にとっても大きな痛手だ。グランダーI.G.は工場ごとの独立採算制を重視していることから、実質的には企業連合に近い。しかし昨年の灯台戦争中においてもオーシア、エルジア両軍に対し同じ企業が兵器を供給していたという事実に変わりは無く、不正の温床であるとオーシア軍内部からの告発もあった。
一方で、ノースオーシア州に住むベルカ系オーシア人にとっては今回の措置が福音となる可能性がある。州当局によってグランダー社および関連企業の従業員約6万人に対する身辺調査が約2年の間執り行われ、公営企業への優先的な再就職支援プログラムが実施されるからである。優秀な技術者獲得に向けていくつかの外国資本が個別または事業部単位での買収に名乗りを上げてもいる。今回判明した事実に加え、彼ら自身が身の潔白を証明することで、世界的なベルカ人差別の解消に繋げられるだろう。
5つ目については以前からその存在が指摘されていたものだ。これは環太平洋戦争中、ベルカ公国領内の古城にて拉致監禁されていた当時のオーシア大統領ヴィンセント・ハーリング氏を救出し、その後オーシア海軍空母”ケストレル”にて編成された大統領直属の特別航空戦隊の事を指している。同じ作戦に参加した兵士らから得られた過去の証言から、部隊名は「ラーズグリーズ隊」とされていた。
しかし奇妙なことに、今回閲覧可能となった“最高機密”の文書においてもその名称は確認できず、特殊部隊の名称、規模、構成員、編成前の所属、その後の処遇など、核心的な情報を見つけだすことは出来なかった。
大戦末期のハーリング大統領の足取りは次の通りだ。オーシアの通信艦により傍受された北ベルカ領内での戦術核兵器の流出計画阻止並びに追跡命令に始まり、工作された大気軌道宇宙機の破壊命令、海兵隊らと共に首都オーレッドへの強行帰還、そして同じく救出されたユークトバニア元首ニカノール首相との共同会見となる。今回明らかになったのは、それらの作戦は大統領直属部隊の存在あってこそ成功せしめたという報告書だ。
ここからは推察となるが、この報告書と前出の2、3の文書とを照らし合わせると、検閲された内容から類推される文章のいくつかに符合する箇所が見受けられる。黒塗りされた文字数、前後の文脈から類推される単語をパターン解析すると、ある少数のグループが特定の目的に対して共同している様子が浮かび上がる。これが事実だとすれば、これらはラーズグリーズ隊が関与したとされる作戦記録に相当する事となり、部隊の作戦遂行能力や機動力を伺い知ることができるだろう。
確かに各国軍は将来の任務に備えて身元を守る目的から特殊部隊員の氏名を公表していない。ある意味では非正規戦の専門集団だからだ。その理由が今後の対テロリスト作戦の遂行に影響するからなのか、もしくは昨年のハーリング氏死去による影響なのかは定かではないが、オーシア政府は現状が公開できうるすべてであり、これら以外は全て非公開(Classified)扱いだとしている。環太平洋戦争の最大の功労者でありながら、その実像はいまだ不明のままである“ラーズグリーズの英雄”。これまでに公開された「極秘(secret)」、「秘(confidential)」をあらためて見直し、照らし合わせる事でさらにその姿が明らかになるかもしれないが、それには時間を要するだろう。
視界に広がる航空機の群れ。隊列の先頭を行くのは昨年の戦いでISEV防衛システムの暴走を食い止めたオーシア空軍のエース部隊だ。目の前を行くそれらの機体の操縦は同軍の別のパイロットが行っている。後に分かったが、本当のエース達は我々と同じ様にこの隊列を見守っていたとのことだ。彼らの本当の素顔は誰にもわからないのかもしれない。
ベルカ戦争から25年。この時間のなかで、我々の世界ではあまりも多くの出来事があった。幾多の戦争と領土紛争、環境問題、経済格差、天災、そして復興。そのすべてに対し答えを見つけ出そうとしたのが他ならぬ故ヴィンセント・ハーリング氏だ。失われた命の代償はあまりにも大きい。彼亡き後の混乱した世界の姿に恐怖を覚えた者も多いだろう。だが、我々の前を行くエース達の機体はその混乱の中を切り抜けてきた。ハーリングの意志は今もなお、世界を突き動かしている。
式典の結びでは、氏の大統領退任演説の一説が用いられた。
困難に直面した時、喜びの最中にある時
我々は大空を見上げる
我々に今があるのも、明日があるのも、この世界を守ろうとした意志のおかげだからだ
我々の英雄は歴史に名を遺さずとも、我々の運命を切り開いた
だから我々はその意志に感謝する
仕事場で、学校で、レストランやリビングで
農場や工場で、海で、そして山の頂きで
弔砲が鳴り、四つの機影が鋭い音と共に我々の頭上を過ぎていく。
それらは瞬く間に陽炎の向こうへと消えていった。